新年を迎える準備が始まりました。長谷寺では先日餅をついて鏡餅を作りました。冬至ともなると、空は鈍色に山内の彩りが少なくなるので、少し華やかさを加えるため、菰をかぶせ寒中に咲く牡丹を植えました。

可憐な花をつけている牡丹を包むように菰を被せている姿はなんとも愛らしく、冬枯れで寒さ増す山内も、暖かく感じる事ができます。また、雪が積もればより一層牡丹の花が際立つ事でしょう。

寒中牡丹は2月14日の「だだおし」の頃まで咲いています。

冬至になり、年の瀬もさし迫ってまいりました。今朝(12/23)などは今冬初の雪が積もっていました。

平成最後の年で、令和元年もあと僅かです。思い返すと年明け早々地震があり、その後も台風による水害、そして首里城の火災など痛ましいことがありました。しかし、ノーベル賞の受賞やラグビーW杯で8強、そして天皇の譲位、改元など喜ばしいことも沢山ありました。

皆様はどのような年になり、そしてどのような年にして来られたのでしょうか?人それぞれが、それぞれの年を過ごされたことと思います。

本年最後の大晦日や元旦にはお参りされる方も多いと思います。長谷寺では「観音万灯会」を開催し、参道に沢山の灯籠を並べ、長谷観音さまへと誘います。

点灯は大晦日19時から翌日の朝5時まで、以降は1日、2日、3日の17時から20時までになります。入山料、駐車場は無料ですが、混み合いますのでご注意ください。

また、大晦日の16時からは観音様の帳を閉める閉帳法要があり、0時の開帳法要までの間は観音さまのお姿を見る事ができませんの合わせてご注意ください。

正月1日になり、すぐの開帳法要が1日初めの観音さまへの祈りであるので、平時の朝勤行はなく、それに伴い正月1日だけは毎朝の「祈りの回廊」はありません。大晦日23時ぐらいにお参りをして、ご一緒に長谷観音さまの帳が開き、お目見えをお迎えするのがお勧めの参拝になります。その際、振る舞いのお餅と甘酒があります。

来年は子年、大黒天の使いもねずみです。長谷寺にはそのねずみに因んだ「ねずみくじ」があります。くじを引いてその年の”運”を確かめるのも良いですね。

image

image
今回、我々は長谷観音の用材が育った山に登山いたしました。地元では長谷観音の故地である事が今でも伝承されており、それを示す絵図には三つの頂を持つ嶽山が観音霊木があった山で、その真ん中の頂に昔は観音を祀る堂宇があったが江戸時代に山の中腹に移されたと伝えています。その後近年になり、里まで降ろされ、今はその跡のみが残っています。

『長谷寺縁起文』には、長谷寺開山にして、西国観音霊場を草創された徳道上人が初瀬の地に、人々の諸願成就のため観音像を作ろうと志し、用材を探すため師である道明に相談した。すると道明は神河(今の初瀬川)に祟りをなす霊木が捨て置かれているがこれを使うと良い、と伝えた。実はその前日の晩に道明は霊木の夢を見ており、まさにこれが奇瑞である確信したという。

その夢の中で霊木に付き従う翁が言うには、近江国三尾前山の白蓮華谷に長く横たわっていた霊木が継体天皇の時代(517年)に洪水で志賀郡大津の里に流れ出て、数奇な運命に流され、初瀬川に捨て置かれたと言います。三尾前山白蓮華谷に長く横たわっていた場所こそが以前長谷寺が建立した碑が立つ場所付近と考えており、その霊木が育った山が今回登った嶽山と考えられます。

山自体は500mほどの低山ではありますが、その道中は粘土層あり、堆積層ありの洗掘による歩きにくい山道でした。2時間ほどで山頂に着き、中腹のお堂跡と山頂の石像の観音様に法楽を捧げました。長谷観音の黎明の時代に想いを馳せ、感慨もひとしおでした。

聞くとこの山は奈良時代には杣山(材木を切り出す山の事)として東大寺や法隆寺に材木を輸出する場所であったそうです。今は松などの低木が閑散として生えており、1500年ほど前との植生の違いを感じました。

琵琶湖の景観も綺麗でちょっとした登山としても楽しめますので、お近くに来られましたら登られるのはいかがでしょうか。

初瀬地域情報

Infromation from...

ページトップに戻る