こんなものを見つけました。

なん年前のものでしょうか、だいぶ古いものですが、鳥の巣ですね。

柱にできた空(うろ)をうまく利用していますね。



今回の修理にあたり、空(うろ)ができないよう、銅板で養生しています。

この一工夫が、木の寿命を大きく伸ばします。



そんな小春日和の中で十月桜が咲いていました。

キンモクセイの香りがどこと無くただようこの頃。

長谷寺の舞台は土台部分に取り掛かり始めました。

舞台を支えていた柱の一本の一部を取り替える事になり、10mあるうちの中ほどから柱を切り始めました。



職人さんの連携の良さに見とれてしまい、シャッターを切り忘れるほどです。



切り取った柱は国宝に指定されている本堂と同時期のもので慶安三年(1650)から365年間舞台を支えてきた柱です。



柱のホゾの中はいろんな生き物のゆりかごになっていました。



しかし、柱の切断面はまだまだ綺麗な色をしています。木の生命力を感じますね。



そして、365年間の風雪にさらされた柱の表面です。木の皺から月日の流れを感じ、溝の深さから力強さを感じます。

部材が取り外され、外舞台の骨組みのみとなりました。

骨組みの大きな材木も部分によっては腐り始めている所もあり。

削る部分をチョークで印がしてあります。

最近ではこれほど大きな木材が無いので、できる限り使います。





外舞台の撮影をしているとふと目に入ったものがありました。

貴則さん、恭子さんお二人の仕合せが良いよう末永いご多幸をお祈り申し上げます。

しかし残念なことに長谷寺の本堂は国宝に指定されていますので、文化財保護法に抵触する恐れがあります。

申し訳ありませんが、剥がさせていただきました。

外舞台の擬宝珠には「慶安三天」の文字があります。

西暦1650年、今から365年前ですね。

長谷寺の本堂が建てられた年で、徳川家光の庇護のもと建てられたと聞いています。



こちらは、外舞台を支えている柱です。10メートルほどあるそうです。

そのうち一本はだいぶ痛みが激しいので、交換が必要ですが...



そしてすっかり床板もなくなってしまいました。

外舞台の欄干が外されました。



職人さんによる手慣れた作業を見ていると、とても簡単なように感じます。



しかし、随所に職人さんの職人技が見て取れます。

例えば、この「ほぞ」と「ほぞ穴」



「ほぞ穴」が変わった形をしてますが、右側はまっすぐ穴が空いていますが、左側は入り口は狭く、奥に行くほど広くなっています。



これは、右側の穴に「ほぞ」を入れ、左側にスライドさせるのだそうです。

すると、上下の力に強くなるわけです。

こういう、「仕掛け」を知っていないと解体する時、部材を傷つけてしまいますね。

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