2015.02.13 / お知らせ
だだおしについて
長谷寺の「だだおし」
【 沿革 】
大和における代表的な火祭りといえば、北と南の二大寺院の火の行事、即ち東大寺二月堂におけるお水取りの「おたいまつ」と当長谷寺の「だだおし」である。
大和の古寺では、年の初めに国家の隆盛と国民の繁栄を祈る『仁王会(にんのうえ)』、人々の罪・過ちを仏前で懺悔し、身も心も清らかになって新年を迎えるための『修正会(しゅしょうえ)』『修二会(しゅにえ)』等の法要が行なわれているが、長谷寺では一月一日から七日間の法要『修正会』、二月八日から七日間の法要『修二会』を行なっている。そして、『修二会』の締めくくりとして二月十四日に行われるのが「だだおし」の儀式である。正式には追儺会(ついなえ)と呼ばれ、古くは旧正月十四日の午後六時頃より行われていたが、文化財の保護・防火や遠方の参詣者の利便等により近年は午後三時頃より行われている。
【 だだおしとは 】
「だだ」とは、閻魔大王(えんまだいおう)の持ち物で、生前の行為を審判し懲罰を加える杖のことであるとする説や、疫病神を駆逐する「儺押し(だおし)」から来たとする説や、「閻浮檀金宝印(えんぶだごんほういん)」あるいは「檀拏印(だんだいん)」を人々の額に押す「檀拏押し」から来たという説、「だだだ・・・」と鬼を追い出す所から来たという説等、諸説があって定かではない。
寺伝によれば、長谷寺開山徳道上人(とくどうしょうにん)が養老二年(七一八)に病にかかり仮死状態となって一時冥土に行った。夢うつつの間に閻魔大王から「お前は死んではならぬ。早く立ち返って西国三十三カ所観音霊場を開基せよ。」とのお告げがあった。その時にいただいた「閻浮檀金宝印」を修二会結願の日に、諸仏諸菩薩をはじめ、お参りしている善男善女の額に押し当てて「悪魔退散」「無病息災」の加持祈祷が行われたところからこの名が由来したと伝えられている。
また一説によれば、昔長谷寺の西北(乾〜いぬい)の方角に悪鬼が棲んでいて、暮れ六つの鐘・法螺貝の音を聞いては出没し里人を困らせた。この鬼を修二会の法要の折に寺に招き寄せ、法力で追い払ったという。それ以降、宝印による加持と鬼払いとは結びつき、閻魔大王によって保証された「宝印の力」と、十一面観世音菩薩に懺悔することによって与えられる「法力」とによって悪魔が鎮められるという信仰から「だだおし」の法要として今日まで伝えられ、毎年多くの参詣をいただいている。
【 法要・加持 】
まず、悔過導師(けかどうし)以下職衆が本堂内陣に入り、本尊十一面観世音菩薩の御前で人々の罪科を懺悔する法要が行われる(悔過法要)。次に、唐櫃に入れられてきた如意宝珠(にょいほうしゅ)・閻浮檀金宝印など七種秘宝が、厳重な封印を解き本尊正面に供えられる。化主大僧正猊下を大導師に、一山の僧侶が出仕する厳粛な法要が修され(本法要)、次に鬼面加持の作法、牛玉札の御加持が修される。大導師が修法檀を降り別座に着くと、宰堂が宝印を捧げ正面に進み出て、まず本尊様を仰ぎ恭しく宝印を押し奉る。次に左上段の天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)、右上段の春日大明神(かすがだいみょうじん)、続いて天地四方。次に大導師以下一山の僧侶、及び堂内外の信者・参詣者の額・牛玉札(ごおうふだ)に宝印の加持が行われる。
この宝印授与の儀式に前後して、太鼓・法螺貝が堂内に激しく鳴り響き、二尺余もある大鬼面の赤・青・緑色の三匹の鬼が現れ、金棒を振り翳し大音勢で堂内を暴れ廻る。すると僧侶達が楉(すわえ)と四手に挟んだ牛玉札の威力を持って堂外に追い出し、追われた鬼は男衆と共に大松明を担ぎ、本堂の周りを練り歩く。
大松明は、長さ一丈五尺余り(約四・五メートル)重さ三十貫超(約百二十キロ)という巨大なもの。本堂の周囲に火の粉を散らし東の広場に出ると、暴れ回った鬼達は何処ともなく退散する。
「だだおし」は、大和の地に春をよぶ一大火祭りである。