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陽成(ようぜい)天皇の御代(みよ)(八七六〜八八四)、大唐国に王がおり、名を僖宗(きそう)皇帝といった。皇帝には后(きさき)が多くおられるが、その中の第四の后に馬頭夫人(めずぶにん)がいた。夫人(ぶにん)は顔が長く、鼻の形はすこぶる馬に似ていた。けれども、夫人は情が深く、奥ゆかしい様子であったので、王は優美に思い、他の后に心を移すことのないほどの寵愛(ちょうあい)を受けた。
しかし、他の数多くのお后方は馬頭夫人を妬み、なんとかして王の前で夫人に不十分なところを見せ、仲を裂いてしまいたいと考えた。そこで花の盛りの明るい日中に宴(うたげ)を催し、夫人の顔を王によく見てもらおうと計略した。
花が盛りを迎えるまで十五日しかなく、馬頭夫人はなんとかして王に不十分なところを見せることなく、宴を終えたいと思い医師に相談をした。
すると医師は生まれつきの容貌(ようぼう)を薬で治療することはできないので、修行を積み、道理に明るい素神(そしん)という仙人がその願いを満たせてくれると言った。
そこで、密かに仙人を召して願いを伝えると仙人は、これは仙術の及ぶところではなく神仏に祈るべきですと答え、殊(こと)に威厳が優れた仏として日本国においでになる長谷寺の観音様が極位(ごくい)の菩薩であると言った。
「前世において私は宝志和尚(ほうしおしょう)という僧でした。そして神通力で三千世界を拝見しました。その中で、日本国においでななる長谷寺の観音様こそは極位の菩薩でございました。形を平凡な衆生と同じくして、諸々の仏や冥界(めいかい)の神々の教えをかたじけなくし、功徳(くどく)が完全に実現する地を開き、他人に利益(りやく)を与える広大な大願を起こし、尊いお姿を現した観世音菩薩様でいらっしゃいます。その上、山内はすべて万徳(ばんとく)によって荘厳(しょうごん)された清浄な法地(ほうち)であり、救いの表れはすべての世界に満ちております。観音様に従う眷属(けんぞく)はことごとく観音様を守護する聖人(せいじん)であり、衆生に対する感化(かんか)を十方国土に施しています。ここは累劫(るいこう)もの極めて長い時間にわたって観音様がご霊験を施してくださるところです。その中で観音様は金剛宝石(こんごうほうじゃく)に上にいらっしゃって、広く衆生を善処に導き、そのご験徳(けんとく)は世にすぐれていらっしゃいます。東方に向かい、はるか遠くから悲願を念じ、香華(こうげ)を備えて、祈願なさいませ。」
馬頭夫人は教えに従い道場をもうけ、真心をこめて祈願した。七日七夜を経た暁、夢とも現実ともなく、東方から霊妙(れいみょう)不可思議な様子の貴い僧が現れた。香染(こうぞめ)の袈裟を纏(まとい)い、紫雲(しうん)に乗り、手に良い香りのする瓶水(びょうすい)を持って来て顔に注いでくれたように思い、鏡で顔を見てみると端正で威厳のある、女性らしい顔立ちに変わっていた。
それから例の宴席では人々はこぞって馬頭夫人を賞美し、憎み妬んでいた后も言葉に出来ないほどの美しい夫人の様子を見て、かえって仲睦まじい付き合いをするようになった。そして王の寵愛はますます深いものとなった。
これは長谷寺の観音様のおかげであると喜び、海辺から種々の宝物を入れた小舟を海に浮かべた。その小舟が長谷寺に至るように銘文を刻み、いつか伽藍を守護する護法善神(ごほうぜんじん)となり観音様に奉仕し、衆生に恵みを施すとの誓いを立てた。
その小舟は播磨国明石の浦に着いて、仔細(しさい)あって無事長谷寺にもたらされた。この時、すでに馬頭夫人はなく、護法善神となり数々の霊威(れいい)を示現(じげん)なさったという。長谷寺は神名帳(じんみょうちょう)に名を入れ、鐘楼堂(しょうろうどう)の東に社を造って馬頭夫人を祀った。
寺内の言い伝えでは、馬頭夫人の送った宝物の中に牡丹の種があり、今の境内を飾る牡丹はこの故事によると言われている。
参考文献
「長谷寺験記」
上巻 第六話
陽成(ようぜい)天皇の御代(みよ)(八七六〜八八四)、大唐国に王がおり、名を僖宗(きそう)皇帝といった。皇帝には后(きさき)が多くおられるが、その中の第四の后に馬頭夫人(めずぶにん)がいた。夫人(ぶにん)は顔が長く、鼻の形はすこぶる馬に似ていた。けれども、夫人は情が深く、奥ゆかしい様子であったので、王は優美に思い、他の后に心を移すことのないほどの寵愛(ちょうあい)を受けた。
しかし、他の数多くのお后方は馬頭夫人を妬み、なんとかして王の前で夫人に不十分なところを見せ、仲を裂いてしまいたいと考えた。そこで花の盛りの明るい日中に宴(うたげ)を催し、夫人の顔を王によく見てもらおうと計略した。
花が盛りを迎えるまで十五日しかなく、馬頭夫人はなんとかして王に不十分なところを見せることなく、宴を終えたいと思い医師に相談をした。
すると医師は生まれつきの容貌(ようぼう)を薬で治療することはできないので、修行を積み、道理に明るい素神(そしん)という仙人がその願いを満たせてくれると言った。
そこで、密かに仙人を召して願いを伝えると仙人は、これは仙術の及ぶところではなく神仏に祈るべきですと答え、殊(こと)に威厳が優れた仏として日本国においでになる長谷寺の観音様が極位(ごくい)の菩薩であると言った。
「前世において私は宝志和尚(ほうしおしょう)という僧でした。そして神通力で三千世界を拝見しました。その中で、日本国においでななる長谷寺の観音様こそは極位の菩薩でございました。形を平凡な衆生と同じくして、諸々の仏や冥界(めいかい)の神々の教えをかたじけなくし、功徳(くどく)が完全に実現する地を開き、他人に利益(りやく)を与える広大な大願を起こし、尊いお姿を現した観世音菩薩様でいらっしゃいます。その上、山内はすべて万徳(ばんとく)によって荘厳(しょうごん)された清浄な法地(ほうち)であり、救いの表れはすべての世界に満ちております。観音様に従う眷属(けんぞく)はことごとく観音様を守護する聖人(せいじん)であり、衆生に対する感化(かんか)を十方国土に施しています。ここは累劫(るいこう)もの極めて長い時間にわたって観音様がご霊験を施してくださるところです。その中で観音様は金剛宝石(こんごうほうじゃく)に上にいらっしゃって、広く衆生を善処に導き、そのご験徳(けんとく)は世にすぐれていらっしゃいます。東方に向かい、はるか遠くから悲願を念じ、香華(こうげ)を備えて、祈願なさいませ。」
馬頭夫人は教えに従い道場をもうけ、真心をこめて祈願した。七日七夜を経た暁、夢とも現実ともなく、東方から霊妙(れいみょう)不可思議な様子の貴い僧が現れた。香染(こうぞめ)の袈裟を纏(まとい)い、紫雲(しうん)に乗り、手に良い香りのする瓶水(びょうすい)を持って来て顔に注いでくれたように思い、鏡で顔を見てみると端正で威厳のある、女性らしい顔立ちに変わっていた。
それから例の宴席では人々はこぞって馬頭夫人を賞美し、憎み妬んでいた后も言葉に出来ないほどの美しい夫人の様子を見て、かえって仲睦まじい付き合いをするようになった。そして王の寵愛はますます深いものとなった。
これは長谷寺の観音様のおかげであると喜び、海辺から種々の宝物を入れた小舟を海に浮かべた。その小舟が長谷寺に至るように銘文を刻み、いつか伽藍を守護する護法善神(ごほうぜんじん)となり観音様に奉仕し、衆生に恵みを施すとの誓いを立てた。
その小舟は播磨国明石の浦に着いて、仔細(しさい)あって無事長谷寺にもたらされた。この時、すでに馬頭夫人はなく、護法善神となり数々の霊威(れいい)を示現(じげん)なさったという。長谷寺は神名帳(じんみょうちょう)に名を入れ、鐘楼堂(しょうろうどう)の東に社を造って馬頭夫人を祀った。
寺内の言い伝えでは、馬頭夫人の送った宝物の中に牡丹の種があり、今の境内を飾る牡丹はこの故事によると言われている。
参考文献
「長谷寺験記」
上巻 第六話
陽成(ようぜい)天皇の御代(みよ)(八七六〜八八四)、大唐国に王がおり、名を僖宗(きそう)皇帝といった。皇帝には后(きさき)が多くおられるが、その中の第四の后に馬頭夫人(めずぶにん)がいた。夫人(ぶにん)は顔が長く、鼻の形はすこぶる馬に似ていた。けれども、夫人は情が深く、奥ゆかしい様子であったので、王は優美に思い、他の后に心を移すことのないほどの寵愛(ちょうあい)を受けた。
しかし、他の数多くのお后方は馬頭夫人を妬み、なんとかして王の前で夫人に不十分なところを見せ、仲を裂いてしまいたいと考えた。そこで花の盛りの明るい日中に宴(うたげ)を催し、夫人の顔を王によく見てもらおうと計略した。
花が盛りを迎えるまで十五日しかなく、馬頭夫人はなんとかして王に不十分なところを見せることなく、宴を終えたいと思い医師に相談をした。
すると医師は生まれつきの容貌(ようぼう)を薬で治療することはできないので、修行を積み、道理に明るい素神(そしん)という仙人がその願いを満たせてくれると言った。
そこで、密かに仙人を召して願いを伝えると仙人は、これは仙術の及ぶところではなく神仏に祈るべきですと答え、殊(こと)に威厳が優れた仏として日本国においでになる長谷寺の観音様が極位(ごくい)の菩薩であると言った。
「前世において私は宝志和尚(ほうしおしょう)という僧でした。そして神通力で三千世界を拝見しました。その中で、日本国においでななる長谷寺の観音様こそは極位の菩薩でございました。形を平凡な衆生と同じくして、諸々の仏や冥界(めいかい)の神々の教えをかたじけなくし、功徳(くどく)が完全に実現する地を開き、他人に利益(りやく)を与える広大な大願を起こし、尊いお姿を現した観世音菩薩様でいらっしゃいます。その上、山内はすべて万徳(ばんとく)によって荘厳(しょうごん)された清浄な法地(ほうち)であり、救いの表れはすべての世界に満ちております。観音様に従う眷属(けんぞく)はことごとく観音様を守護する聖人(せいじん)であり、衆生に対する感化(かんか)を十方国土に施しています。ここは累劫(るいこう)もの極めて長い時間にわたって観音様がご霊験を施してくださるところです。その中で観音様は金剛宝石(こんごうほうじゃく)に上にいらっしゃって、広く衆生を善処に導き、そのご験徳(けんとく)は世にすぐれていらっしゃいます。東方に向かい、はるか遠くから悲願を念じ、香華(こうげ)を備えて、祈願なさいませ。」
馬頭夫人は教えに従い道場をもうけ、真心をこめて祈願した。七日七夜を経た暁、夢とも現実ともなく、東方から霊妙(れいみょう)不可思議な様子の貴い僧が現れた。香染(こうぞめ)の袈裟を纏(まとい)い、紫雲(しうん)に乗り、手に良い香りのする瓶水(びょうすい)を持って来て顔に注いでくれたように思い、鏡で顔を見てみると端正で威厳のある、女性らしい顔立ちに変わっていた。
それから例の宴席では人々はこぞって馬頭夫人を賞美し、憎み妬んでいた后も言葉に出来ないほどの美しい夫人の様子を見て、かえって仲睦まじい付き合いをするようになった。そして王の寵愛はますます深いものとなった。
これは長谷寺の観音様のおかげであると喜び、海辺から種々の宝物を入れた小舟を海に浮かべた。その小舟が長谷寺に至るように銘文を刻み、いつか伽藍を守護する護法善神(ごほうぜんじん)となり観音様に奉仕し、衆生に恵みを施すとの誓いを立てた。
その小舟は播磨国明石の浦に着いて、仔細(しさい)あって無事長谷寺にもたらされた。この時、すでに馬頭夫人はなく、護法善神となり数々の霊威(れいい)を示現(じげん)なさったという。長谷寺は神名帳(じんみょうちょう)に名を入れ、鐘楼堂(しょうろうどう)の東に社を造って馬頭夫人を祀った。
寺内の言い伝えでは、馬頭夫人の送った宝物の中に牡丹の種があり、今の境内を飾る牡丹はこの故事によると言われている。
参考文献
「長谷寺験記」
上巻 第六話
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