国宝 銅板法華説相図もどる!

長谷寺の濫觴を語る銅板法華説相図を4月1日から5月31日まで特別公開

長谷寺縁起文に云く

「天人所造の毘沙門天王います。其御手の宝塔ながれて、此の山の麓、神河の瀬に留まる。武内宿禰卜筮して云く。此れ天の徳を授け、地の栄を表すと云々。即ち崇めて北の嶺、西北の角に納む。よって旧の号の三神を改めて泊瀬豊山とす。その後三百余歳を経て、道明上人是れを石室に移す。それより此の山繁盛して観音応現す。故に里の号を取って寺号に置く、是れ天武天皇更に道明上人に勅して西の峯に石室の仏像並びに三重の塔を建立す。」

意訳
毘沙門天の宝塔が神河(今の初瀬川)に流れ着いたので、武内宿禰に占ってもらい「これは瑞祥である」と出たため、北の峯の西北の角に宝塔を安置した。それからこの地を泊瀬豊山(はつせとよやま)と名ずけた。約300年後、その宝塔を石室に移し山と観音様の霊威が上がったので初瀬寺(はせでら)とした。天武天皇の勅を得て西の峯(今の五重塔辺り)に石室の仏像と三重塔(銅板法華説相図の事)を建立した。

銅板法華説相図の見方

日本最古の金剛力士像

 長谷寺の銅板法華説相図は作成年代が古く、7世紀末に遡ります。『法華経』の見宝塔品に登場するシーンを描いており、中央に三重塔を鋳出してその周囲に多数の仏菩薩を配しています。そしてその下段中央に銘文を刻みその両側に仁王像である金剛力士像を意匠しています。説相図はその長い歴史の中で右下部分が失われ、金剛力士像も一体だけとなりますが、これは日本において最古の金剛力士像です。白鳳期に作られ、大陸からの影響を感じる造形となっています。そのポージングも素朴で愛らしい表現がされていますね。また、天衣の躍動感が伝わり、力強さも感じることができます。

二体の仏様

 皆さんご存知の仏様は一体の仏、または三体の仏に馴染みがあるのではないでしょうか。この三重塔の初段には二体の仏がいらっしゃいます。『法華経』見宝塔品では霊鷲山山頂で釈尊が人々の前で説法をしているとき、「善き哉、善き哉」と礼賛する声が響き渡り、地中から宝塔が湧出、その初段の中にいた多宝仏が自分の席を釈尊に半分譲った(二仏並座)の場面を表しています。向かって左が多宝仏、右が釈尊になります。

その他にも見所たくさん

 三重塔の周りには沢山の仏たちがいます。それは法隆寺の玉虫厨子にある千体仏のようで、銅板外周を囲む仏は山田寺出土の塼仏に、また三重塔上部の三本の相輪は法隆寺の多聞天像の持つ宝塔に造形が似ています。これらの特徴は紛れもなくそれらと同時代に作られたことを示しています。他にも刻まれた文字の書体は欧陽詢の特徴を持っており、様々な技術を持ち寄りこの銅板が作られたことがわかります。そして宝塔下部の獅子が狛犬のようでとても可愛げです。是非この機会に国宝の銅板法華説相図をじっくりご覧いただきたいと思います。

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